場所柄なかなかクラブが運営しにくい雰囲気ですが、ブームの盛り上がりを受けて鳴り物入りですスタートしました。
場所はJR大阪駅西側高架下、広大なスペースでスポンサーは天下のコカコーラ!(近畿)
しかし、ネーミングがOh!ゆれOSAKA!(!マーク2つも入ってます)
センスと予算は別物という良い例です。
設備・内装にもかなりお金を注ぎ込んであり、なぜだか機関車のDJブースがあったような気がします。
日曜以外は毎日営業、DJラインナップも錚々たるメンバーでした。
ただ、当然のごとく週末以外は閑古鳥が鳴き(梅田近辺に通勤するサラリーマンがぷらっと寄る訳ありません)
予定されているDJが来ない?など今一だったようです。スケジュールを見てもらえばわかりますが、ある意味過酷な労働環境?のDJが連日まじめに出勤できるか?ちょっと考えればわかりそうなものです。
いつのまにか記憶から消えてなくなりました・・・(店舗運営をかえて営業継続?)
隣接して営業していたKIRIN LAGER JUNGLEDA!(ビヤホール?)
まさにジャングルのような内装で圧巻!でした。
(こちらは結構繁盛しており利用させてもらいました)
DJ Matsuoka(松岡成久)ちょっと働きすぎちゃう?(関西弁)
Yellowも関西では憧れのクラブ!でした
S-KEN(エスケン)がJAZZ HIP JAPにてノリに乗っている頃ですばらしいラインナップ!
エスケンのカメレオンナイトってネーミングからも今後の興亡が予想される?
(想像にお任せします)
2011年10月11日火曜日
2011年10月10日月曜日
シーンの中心ミナミにて盛り上がりを魅せる
ご存じない方のために一応説明しますが、大阪にて梅田を中心とした繁華街をキタ
心斎橋・なんばを中心とした繁華街をミナミと呼びます。
キタはビジネス街に隣接していますので一般的に高級イメージ、対照的にミナミは庶民的とでもいうのでしょうか。
まず、ミナミの心斎橋に隣接してアメリカ村があります。
ベタなネーミングですが東京原宿に似ている印象の一帯です。
クラブはそこそこの規模のスペースが必要ですので中心街からさらに離れた場所にて営業される傾向にあります。
今回紹介するのはclub Uです。タイ料理店の2Fに突如オープンしました。金土のみの営業
マイナーなイメージで興味を惹かれます。
3月のスケジュールのラインアップにあるKEI KOBAYASHI(小林径)は関西初お目見えだったと記憶しています。
その後4月に入るとなんとまたオープニングのフライヤーが配布?
詳細は不明ですが新しい店名Club SPOONとなりました。
オープニングアクトがNick Jonesとは渋い人選で関西とは思えません(ご容赦!)
店名のアートワークもいい感じです。
Gilles Peterson and Patrick Forge present Sunday afternoon at Dingwalls
をパクッたのでしょうが日本での集客は無理でしょう・・・
ついにU・F・Oが関西に登場!ということで、イベントに参加するために当日出向きました。
かなりの人手で店先が賑わっておりました。
早速店内へ入ろうと階段で2階に上がり入り口を開けた途端!
7月とはいえ余りの熱気(異常な暑さ)と息苦しさ(多分酸欠状態)
あわせて満員電車のような人の渦に圧倒されました。
連れの女性(詳細はノーコメント)も居ましたので危険?と判断、退散した次第です。
相変わらず渋い人選!
同様!!
この頃ハウスにも興味を持った次第です。
ちょとご無沙汰して・・・
また店名変更?
不思議な店舗運営でした。
情報あれば求む!!
心斎橋・なんばを中心とした繁華街をミナミと呼びます。
キタはビジネス街に隣接していますので一般的に高級イメージ、対照的にミナミは庶民的とでもいうのでしょうか。
まず、ミナミの心斎橋に隣接してアメリカ村があります。
ベタなネーミングですが東京原宿に似ている印象の一帯です。
クラブはそこそこの規模のスペースが必要ですので中心街からさらに離れた場所にて営業される傾向にあります。
今回紹介するのはclub Uです。タイ料理店の2Fに突如オープンしました。金土のみの営業
マイナーなイメージで興味を惹かれます。
3月のスケジュールのラインアップにあるKEI KOBAYASHI(小林径)は関西初お目見えだったと記憶しています。
その後4月に入るとなんとまたオープニングのフライヤーが配布?
詳細は不明ですが新しい店名Club SPOONとなりました。
オープニングアクトがNick Jonesとは渋い人選で関西とは思えません(ご容赦!)
店名のアートワークもいい感じです。
Gilles Peterson and Patrick Forge present Sunday afternoon at Dingwalls
をパクッたのでしょうが日本での集客は無理でしょう・・・
ついにU・F・Oが関西に登場!ということで、イベントに参加するために当日出向きました。
かなりの人手で店先が賑わっておりました。
早速店内へ入ろうと階段で2階に上がり入り口を開けた途端!
7月とはいえ余りの熱気(異常な暑さ)と息苦しさ(多分酸欠状態)
あわせて満員電車のような人の渦に圧倒されました。
連れの女性(詳細はノーコメント)も居ましたので危険?と判断、退散した次第です。
相変わらず渋い人選!
同様!!
この頃ハウスにも興味を持った次第です。
ちょとご無沙汰して・・・
また店名変更?
不思議な店舗運営でした。
情報あれば求む!!
2011年10月3日月曜日
大阪にてクラブ活動(NightClubbing)スタート!
クラブジャズ草創期の1990年代は、訳あって大阪に在住(出稼ぎ?)しておりました。
東京ほどではないものの、独特の文化がある関西にて
結構盛り上がりを見せておりました。
シーンを引っ張っていたキーマンが2人います。
1人は竹村延和です。
大阪出身の正に地元で、KOOL JAZZ PRODUCTIONSというDJチームを組んで活動していました。HOPING FOR THE SUNという12インチをロンドンにてリリースしており英国でも注目されておりました。
しかし、その後音楽を突き詰めていき、本来の志向だったHipHop~エレクトロニカ~ミニマル・ミュージックとJazzシーンから離れていきました。
もう1人は沖野修也です。
出身・活動の中心京都にてKyoto Jazz MassiveというDJチームを組んでいましたが
大阪にも進出(関西は基本至近ですから)していました。
ご存知の通りこの後、MONDO GROSSO(大沢伸一・中村雅人・吉澤はじめ)、実弟・沖野好洋とさらにシーンに重要な影響を残し、東京に進出(活動の拠点を移動)しました。
当時の主要クラブを紹介していきますが、まずは心斎橋にあってBallroomです。
オープニングが1993年4月2日でよく足を運びました。
詳細は忘れました(汗)
間口の狭いビルでしたが3フロアーを有して営業していました。
エレベータでエントランスの6Fに上がり、ドアが開くといきなり店内(簡単なチケットブースのみ)で
最初はびっくりします。たしかバーがあったはずです。
メインのダンスフロアは5F(階段でしか下りられません)、7Fはギャラリーだったでしょうか。
覚えている方は情報!お待ちしております。
当時のフライヤー(マンスリースケジュールとイベント告知)を時系列に掲載します。
貴重な資料(価値観がない人にとってはただのゴミですが)ですのでご覧ください。
オープニング
曜日によってテーマを設定。月曜以外営業とはブームの充実を感じます。
雑誌remixのスタッフがDJとして登場!
Liveを行っていた模様(のちにSpiritual Vibesとしてデビュー)
Sergio Mendes & Brasil '66 - For What It's Worthより拝借。
月の最終土曜のイベントはKyoto Jazz Massiveのvibes in'
ロゴはSWIFTYがアートワークを手掛けています。
Elencoのジャケットそのままですがご愛嬌。
週末以外はやっぱガラガラって感じでした。
竹村延和が敬愛しているジョン・コルトレーンがよく登場
ご存知レオン・トーマス!
MONDO GROSSOのLive!
のちに竹村延和が立ち上げるLOLLOPというネーミングが登場!
BlueNoteのアートワークって時代を超越しているのが納得できます。
STRATA-EASTも当時はまだマイナーでした。
本場英国よりPatrick Forge登場。
内海イズルも付き添い?ではるばる東京より。
我等の若大将!U・F・Oの松浦俊夫登場。
ライトブラウンのスーツにニット帽というファッションが印象的でした。
激混みのダンスフロアより避難し、バーフロアにてくつろいでいたら
誰かに肩を抱かれました?振り返ると沖野好洋(当時は弟くんって感じ!)
ただの酔っ払い状態でした。
所用?によりご無沙汰、ちょっと間隔があきます。
U・F・Oの矢部直(社長)が登場!
さらに足が遠のき・・・
竹村延和は別世界に旅立った?ので見当たりません。
以後不明・・・・・
(誰か教えてください)
東京ほどではないものの、独特の文化がある関西にて
結構盛り上がりを見せておりました。
シーンを引っ張っていたキーマンが2人います。
1人は竹村延和です。
大阪出身の正に地元で、KOOL JAZZ PRODUCTIONSというDJチームを組んで活動していました。HOPING FOR THE SUNという12インチをロンドンにてリリースしており英国でも注目されておりました。
しかし、その後音楽を突き詰めていき、本来の志向だったHipHop~エレクトロニカ~ミニマル・ミュージックとJazzシーンから離れていきました。
もう1人は沖野修也です。
出身・活動の中心京都にてKyoto Jazz MassiveというDJチームを組んでいましたが
大阪にも進出(関西は基本至近ですから)していました。
ご存知の通りこの後、MONDO GROSSO(大沢伸一・中村雅人・吉澤はじめ)、実弟・沖野好洋とさらにシーンに重要な影響を残し、東京に進出(活動の拠点を移動)しました。
当時の主要クラブを紹介していきますが、まずは心斎橋にあってBallroomです。
オープニングが1993年4月2日でよく足を運びました。
詳細は忘れました(汗)
間口の狭いビルでしたが3フロアーを有して営業していました。
エレベータでエントランスの6Fに上がり、ドアが開くといきなり店内(簡単なチケットブースのみ)で
最初はびっくりします。たしかバーがあったはずです。
メインのダンスフロアは5F(階段でしか下りられません)、7Fはギャラリーだったでしょうか。
覚えている方は情報!お待ちしております。
当時のフライヤー(マンスリースケジュールとイベント告知)を時系列に掲載します。
貴重な資料(価値観がない人にとってはただのゴミですが)ですのでご覧ください。
オープニング
曜日によってテーマを設定。月曜以外営業とはブームの充実を感じます。
雑誌remixのスタッフがDJとして登場!
Liveを行っていた模様(のちにSpiritual Vibesとしてデビュー)
Sergio Mendes & Brasil '66 - For What It's Worthより拝借。
月の最終土曜のイベントはKyoto Jazz Massiveのvibes in'
ロゴはSWIFTYがアートワークを手掛けています。
Elencoのジャケットそのままですがご愛嬌。
週末以外はやっぱガラガラって感じでした。
竹村延和が敬愛しているジョン・コルトレーンがよく登場
ご存知レオン・トーマス!
MONDO GROSSOのLive!
のちに竹村延和が立ち上げるLOLLOPというネーミングが登場!
BlueNoteのアートワークって時代を超越しているのが納得できます。
STRATA-EASTも当時はまだマイナーでした。
本場英国よりPatrick Forge登場。
内海イズルも付き添い?ではるばる東京より。
我等の若大将!U・F・Oの松浦俊夫登場。
ライトブラウンのスーツにニット帽というファッションが印象的でした。
激混みのダンスフロアより避難し、バーフロアにてくつろいでいたら
誰かに肩を抱かれました?振り返ると沖野好洋(当時は弟くんって感じ!)
ただの酔っ払い状態でした。
所用?によりご無沙汰、ちょっと間隔があきます。
U・F・Oの矢部直(社長)が登場!
さらに足が遠のき・・・
竹村延和は別世界に旅立った?ので見当たりません。
以後不明・・・・・
(誰か教えてください)
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