東京ほどではないものの、独特の文化がある関西にて
結構盛り上がりを見せておりました。
シーンを引っ張っていたキーマンが2人います。
1人は竹村延和です。
大阪出身の正に地元で、KOOL JAZZ PRODUCTIONSというDJチームを組んで活動していました。HOPING FOR THE SUNという12インチをロンドンにてリリースしており英国でも注目されておりました。
しかし、その後音楽を突き詰めていき、本来の志向だったHipHop~エレクトロニカ~ミニマル・ミュージックとJazzシーンから離れていきました。
もう1人は沖野修也です。
出身・活動の中心京都にてKyoto Jazz MassiveというDJチームを組んでいましたが
大阪にも進出(関西は基本至近ですから)していました。
ご存知の通りこの後、MONDO GROSSO(大沢伸一・中村雅人・吉澤はじめ)、実弟・沖野好洋とさらにシーンに重要な影響を残し、東京に進出(活動の拠点を移動)しました。
当時の主要クラブを紹介していきますが、まずは心斎橋にあってBallroomです。
オープニングが1993年4月2日でよく足を運びました。
詳細は忘れました(汗)
間口の狭いビルでしたが3フロアーを有して営業していました。
エレベータでエントランスの6Fに上がり、ドアが開くといきなり店内(簡単なチケットブースのみ)で
最初はびっくりします。たしかバーがあったはずです。
メインのダンスフロアは5F(階段でしか下りられません)、7Fはギャラリーだったでしょうか。
覚えている方は情報!お待ちしております。
当時のフライヤー(マンスリースケジュールとイベント告知)を時系列に掲載します。
貴重な資料(価値観がない人にとってはただのゴミですが)ですのでご覧ください。
オープニング
曜日によってテーマを設定。月曜以外営業とはブームの充実を感じます。
雑誌remixのスタッフがDJとして登場!
Liveを行っていた模様(のちにSpiritual Vibesとしてデビュー)
Sergio Mendes & Brasil '66 - For What It's Worthより拝借。
月の最終土曜のイベントはKyoto Jazz Massiveのvibes in'
ロゴはSWIFTYがアートワークを手掛けています。
Elencoのジャケットそのままですがご愛嬌。
週末以外はやっぱガラガラって感じでした。
竹村延和が敬愛しているジョン・コルトレーンがよく登場
ご存知レオン・トーマス!
MONDO GROSSOのLive!
のちに竹村延和が立ち上げるLOLLOPというネーミングが登場!
BlueNoteのアートワークって時代を超越しているのが納得できます。
STRATA-EASTも当時はまだマイナーでした。
本場英国よりPatrick Forge登場。
内海イズルも付き添い?ではるばる東京より。
我等の若大将!U・F・Oの松浦俊夫登場。
ライトブラウンのスーツにニット帽というファッションが印象的でした。
激混みのダンスフロアより避難し、バーフロアにてくつろいでいたら
誰かに肩を抱かれました?振り返ると沖野好洋(当時は弟くんって感じ!)
ただの酔っ払い状態でした。
所用?によりご無沙汰、ちょっと間隔があきます。
U・F・Oの矢部直(社長)が登場!
さらに足が遠のき・・・
竹村延和は別世界に旅立った?ので見当たりません。
以後不明・・・・・
(誰か教えてください)
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