2011年10月3日月曜日

大阪にてクラブ活動(NightClubbing)スタート!

クラブジャズ草創期の1990年代は、訳あって大阪に在住(出稼ぎ?)しておりました。
東京ほどではないものの、独特の文化がある関西にて
結構盛り上がりを見せておりました。

シーンを引っ張っていたキーマンが2人います。

1人は竹村延和です。
大阪出身の正に地元で、KOOL JAZZ PRODUCTIONSというDJチームを組んで活動していました。HOPING FOR THE SUNという12インチをロンドンにてリリースしており英国でも注目されておりました。

しかし、その後音楽を突き詰めていき、本来の志向だったHipHop~エレクトロニカ~ミニマル・ミュージックとJazzシーンから離れていきました。

もう1人は沖野修也です。
出身・活動の中心京都にてKyoto Jazz MassiveというDJチームを組んでいましたが
大阪にも進出(関西は基本至近ですから)していました。

ご存知の通りこの後、MONDO GROSSO(大沢伸一・中村雅人・吉澤はじめ)、実弟・沖野好洋とさらにシーンに重要な影響を残し、東京に進出(活動の拠点を移動)しました。


当時の主要クラブを紹介していきますが、まずは心斎橋にあってBallroomです。
オープニングが1993年4月2日でよく足を運びました。

詳細は忘れました(汗)
間口の狭いビルでしたが3フロアーを有して営業していました。
エレベータでエントランスの6Fに上がり、ドアが開くといきなり店内(簡単なチケットブースのみ)で
最初はびっくりします。たしかバーがあったはずです。

メインのダンスフロアは5F(階段でしか下りられません)、7Fはギャラリーだったでしょうか。

覚えている方は情報!お待ちしております。



当時のフライヤー(マンスリースケジュールとイベント告知)を時系列に掲載します。
貴重な資料(価値観がない人にとってはただのゴミですが)ですのでご覧ください。


オープニング




曜日によってテーマを設定。月曜以外営業とはブームの充実を感じます。



雑誌remixのスタッフがDJとして登場!





Liveを行っていた模様(のちにSpiritual Vibesとしてデビュー)















Sergio Mendes & Brasil '66 - For What It's Worthより拝借。





月の最終土曜のイベントはKyoto Jazz Massiveのvibes in'
ロゴはSWIFTYがアートワークを手掛けています。









Elencoのジャケットそのままですがご愛嬌。









週末以外はやっぱガラガラって感じでした。









 竹村延和が敬愛しているジョン・コルトレーンがよく登場















ご存知レオン・トーマス!











MONDO GROSSOのLive!











のちに竹村延和が立ち上げるLOLLOPというネーミングが登場!






BlueNoteのアートワークって時代を超越しているのが納得できます。



STRATA-EASTも当時はまだマイナーでした。









本場英国よりPatrick Forge登場。
内海イズルも付き添い?ではるばる東京より。

















我等の若大将!U・F・Oの松浦俊夫登場。
ライトブラウンのスーツにニット帽というファッションが印象的でした。

激混みのダンスフロアより避難し、バーフロアにてくつろいでいたら
誰かに肩を抱かれました?振り返ると沖野好洋(当時は弟くんって感じ!)
ただの酔っ払い状態でした。






所用?によりご無沙汰、ちょっと間隔があきます。
U・F・Oの矢部直(社長)が登場!







さらに足が遠のき・・・


竹村延和は別世界に旅立った?ので見当たりません。













以後不明・・・・・
(誰か教えてください)

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